カテゴリ: バンドメンバーの話
名古屋のお寺“相応寺”ライブのお話
藤岡藤巻は10月31日に、名古屋の“相応寺“という由緒正しいお寺でライブをやってきました。
藤岡藤巻として関西に行くのは、なんと2007年以来! いつものメンバーの藤岡さん、藤巻さん、羽生さん(バンマス)、後藤さん(ギター)、川島さん(ドラム)、ゴローさん(音響)で、新幹線の座席に並んで座ってるだけでも修学旅行気分だもんね。
隣には藤岡さんが座ってたんだけど、窓の外を流れる景色を見ながら「新幹線だとあっという間に景色が変わるけど、昔の合戦の時は歩いてたからね。雑兵とかは垂れ流しながら進んでたんだよ。そりゃ早く偉くなって馬に乗りたいとか思うよな」なんて話がはじまる。
こういうのが楽しいんだよね。合戦で生き残るにはどうするかなんてことを話したりさ。
で、名古屋駅には主催の方たちが迎えに来てくれていて、会場となる相応寺へ。この相応寺は寛永20年に、徳川義直が生母お亀の方の菩提のために建立したという由緒あるお寺なのです。
藤岡藤巻がこんなところでやっていいのかしら。ステージの後ろには、400年以上も前に描かれたという屏風も飾っていただいている。
まずはバチが当たらないように、皆でお賽銭を入れて、ご本尊に手を合わせる。「まさか、この歳になって、こういうところでライブができるなんて思わなかったな」と藤岡さん。
軽くバンドの音合わせをしたら、お待ちかねのランチ。"長楽”さんという地元で有名なお店の”ひつまぶし”弁当で、わざわざ社長が配達をしてくれました。
いただく前に、壁に貼られた食事の心得みたいなのを住職と唱和するんだけど、自分は弁当に目がいってたから、弁当の帯に書かれた「おいしいひつまぶしの食べ方~」と一人だけ違う唱和になって、慌てて止めたね。
で、この”ひつまぶし弁当”がおいしいの。味変とかもあって、皆、大満足。もうこれだけで、名古屋に一遍の悔いなし!と思ったほど。
ただね。藤巻さんはライブ前にお腹いっぱいになると眠くなるから大丈夫かなぁと思ってたら、「オレ、最近、睡眠障害なんだよ。昨日は1時間しか眠れなくて」と藤巻さん。えっ? どこでもいつでも眠れる藤巻さんが?
それを聞いた藤岡さんの目が輝く。「藤巻くんも、ついにきたか!」と嬉しそう。藤岡さんは睡眠障害のプロだもの。いつでも寝入りが悪い。
「えっ?! 前の日は1時間しか寝てないんですか!?」とオレ。「そうなんだよ。その前の日は、13時間寝たんだけどね」と藤巻さん。13時間…寝すぎだよ、寝すぎなんだよ! だから眠れないんだよ。赤ちゃんかよ!
そろそろ本番だから、本堂に移動しようかという段になると、控室と外をつなぐ出入り口が騒がしい。
何かと思ったら、タバコを吸いに外に出た藤岡さんのズボンが、植物の種子まみれになって途方にくれている。いわゆる“ひっつき虫“というやつだ。どこでタバコ吸ってたんだよ!
主催の方々が、軍手で種子を撫で取って下さって、ようやく元通りに。
いきなり驚いたのは、横綱“千代の富士“のでっかい手書きの看板が置いてあったこと。なんでも、昔は九重部屋の宿舎として使われたこともあったらしく、勝負運がつく寺とも言われているらしい。
で、藤岡さんと藤巻さんは、廊下の端にある棚を覗き込んでいる。どうやら木魚が気になるみたいだ。
そしたら、住職は快く「いいですよ」と。心広すぎるでしょ!
さらに「本堂にある太鼓もいいですか?」と藤巻さん。沈黙する住職。ここまでにしておきなさいって!
木魚は『もしオレが死んだら』の時に、藤巻さんがポコポコと叩いたけれど、他にも『死んじゃう音頭』なんかでも活躍していた。やっぱり、本物の木魚は音の説得力が違うぜ!!
そういえば、藤岡さんは『もしオレが死んだら』を選んだ時、『「いいか、よく聞いておけ神様♪」のところで、御本像を指さしたらどうかな? 静 炉巌やってよ』とか、『「ついでに上司も連れてってくれ♪」のところを、「ついでに和尚も連れてってくれ♪」にしたらいいんじゃないか』って、ゲラゲラ笑ってたんだよね。
これやってたら、住職も「えっ? オレ? ついでに地獄に連れていかれちゃうの?」って驚いただろうな。
そんなこんなで、とても楽しい名古屋ライブだったのです。お客さんも楽しんでいただけてたらいいな。それからお声がけいただいた皆様、何から何までありがとうございました!
極上のパクリの味を『父さん』から学んでみないかい?
バンドメンバーの静 炉巌(せいろがん)です。だぁーれだ?
あらためて言いますよ。パクリを舐めるな! 劣化コピーなんぞというジャンクに手を染める連中に、パクり道を歩く資格はないわさ! わかりますよね、奥さん!
でもね、ここでオレは思ったわけ。あの魯山人だって、ファストフードしか食べたことがなきゃ、ホンモノの味なんてわかるはずがない。
だから、まずはホンモノのパクリを知ることが大事だってね。アツアツの肉汁が滴る極上のステーキみたいな、藤岡藤巻のパクリってやつをさ。
それではパクりを目指すヒト! 本日のテキストは、藤岡藤巻のセカンドアルバム『藤岡藤巻Ⅲ』になります。持ってないヒト、買ってください。持ってるヒト、もう1枚買って、近所に配りましょう。
では、今回の課題曲。アルバム4曲目の『父さん』を聴いてみてください。音量に気をつけてくださいね。あまり大きな音だと、ご近所さんがビックリしますから。
はい、聴きましたね。この歌、ざっくりと言ってしまえば、“無邪気に平和への夢を語る息子を、戦争体験者の父親が理不尽に怒鳴りつける“という内容です。
Aメロを藤巻さんが息子役で歌い、サビの父親役を藤岡さんが歌ってます。“父親の理不尽“パートを楽曲で表現する手法は驚異的で、「昭和のオヤジって、こんな感じだったんだろうな」と思わせる説得力がありますよね。
でもね、Aメロ、なんか聴いたことがあるっていうか、妙に耳に馴染んでる感があるような気がしませんか?
さっさと言っちゃいますが、このメロディは”ピーター・ポール&マリー”(Peter, Paul and Mary)の1963年のヒット曲『パフ』(Puff, the Magic Dragon)っぽいです。大瀧詠一も『デッキ・チェア』(歌:スラスプティック)、『スピーチバルーン』で、まんまパクってますね。
とはいえ『父さん』は、「ちょっと、他人の空似が過ぎないかしら?」なんて感じるかもしれません。当然です。だって、ここで使われている手法は、“パクリ48手“のなかでも、禁じ手とされている“出向“(しゅっこう)という手法なんですから。
“出向“とは、サラリーマンであれば“出世街道を外されて子会社行き“など、マイナスイメージがある悲しい響きの言葉。パクリ道では、“パクリ元のメロディのまま、パクリ先に行くこと”を意味します。
本来なら、それは雑魚(ザコ)野郎が安易に手を出すダッサい“丸パクリ“のこと。でもね、“パクリ界の千利休“とも呼ばれる藤岡さんが、理由もなくジャンクな手法に手を出すはずがないでしょ?
巨匠が禁じ手である“出向“を用いたのには、そうしなければならなかった2つの理由があるのです。
ひとつめの理由は、簡単であると同時に衝撃的でもあります。
藤岡さんの相方である藤巻さん(藤岡藤巻)は、歌にはあまり興味がなく、ライブでは世間話を延々と続けることで知られています。藤岡さんが新曲を作ってきてもなかなか覚えません。それどころか10年以上も歌っている歌でさえ、うろ覚えなのです。
藤岡さんは、そんな藤巻さんに初めて『父さん』のデモを聴かせたときにこう言いました。
「藤巻くんさ。きみが覚えやすいように、きみのパートは『パフ』のメロディにしておいたから。メロディがわからなくなったら『パフ』を歌えばいいよ」
「それは助かる。だったら歌えるかも!」
”メンバーがなかなかメロディを覚えないから、知っているメロディをもってきた”…ボーカルのガイドラインとしてのパクリ。
これは長いパクリの歴史においても、他に類をみないケースです。世界最高峰のバンドと言われた、あのビートルズでさえ、思いつかなかったに違いありません。
さて、ふたつめの理由は『父さん』という歌の本質に関わるものです。実は『父さん』という歌は、楽曲単体として成立しつつ、藤岡家の歴史の一部を切り取ってカリカチュアライズした作品でもあるのです。
藤岡さんのお父上は厳格な方で、歌詞に「オレが戦争で満州に行ったときゃ♪」とある通り、満州からシベリア抑留を経験した戦争体験者でもあります。
お父上にしてみれば、そんな過酷な体験をしてまで守ろうとした日本が、いつの間にか軟弱な国になっている。能天気に平和を叫ぶ”戦争を知らない子供たち”である息子は、“長髪でロン毛、髪を伸ばした若者“になってしまったのだから、内心は「この、ロングヘアめ!」とジクジクたる思いがあったことでしょう。
そして、この歌のような父子の対立が、現実の藤岡家にもあったと想像できます。
この構図を際立たせるために、巨匠は”平和”を口にする息子が歌うメロディに、当時の反戦歌をもってきたのです。
『パフ』という楽曲は、本来は“子供の成長を歌った歌“ですが、ベトナム戦争当時のアメリカでは、”少年ジャッキーがパフの前に現れなくなったのは、戦争に行って戦死したからだ”と解釈されて、反戦歌だと受け取られていました。
だから『父さん』のAメロは、”藤巻さんでも歌える反戦歌”ということで、『パフ』でなくてはならなかったのです。
さらにサビにおいて、藤岡さんが、若かりし頃に反発した”父親”のパートを受け持ったことは、過去に生じた父子の対立を飲み込んだと解釈することもできます。
つまり『父さん』という歌は、父と子の対立を音楽的に表現しただけではなく、その内側には私小説のように父子の過去を封じ込め、さらにその関係を乗り越えるというミルフィーユのような多層構造になっているのです。この歌は風刺劇であり、ドキュメンタリーであり、ドラマなのです。
もし、ピーター・ポール&マリーが『父さん』を聴いたなら、間違いなくこう言うに違いありません。
“Now I finally understand! The reason we sang "Puff" was to get a crack at Fujioka Fujimaki!“(「今、やっとわかった! オレたちが『パフ』を歌ったのは、藤岡藤巻にパクられるためだったんだ!」)と。
余談になりますが、『父さん』の歌詞が私小説的だとするならば、歌詞には描かれていない“父さん“のエピソードも、また作品に重ねることができるかもしれません。そうすることで、より“父さん“を感じることができるのです。
藤岡さんの一年後輩の山田さんは、“すみちゃんとステゴザウルス“のメンバーですが、いわば“パクリの達人“とも言える人物です。
山田さんは、学生時代に藤岡家に入り浸っており、そこで藤岡さんの知らないうちに、お父上の蔵書をパクっては古本屋に売り飛ばしていたといいます(「当時、5万円ぐらいになったんだよ!」と山田さんが自慢してました)。
『父さん』で理不尽に怒鳴っている“父さん“が、実は理不尽に山田さんから蔵書をパクられていた。そう思うと、この歌にまた一つ、なんとも言えない感情の層が重なってきます。
結局のところ、我々は巨匠の手のひらと、山田さんの手癖に、為すすべもなく踊らされているだけなのかもしれません。
パクリ道は険しく終わりのない道。パクリ道を志す皆さん、くれぐれも山〇さんの方のパクリ道に迷い込まないようにしてくださいね。
たっきぃ
しいたけ
うぉー静炉巌さん
今回も深くて爆笑のお話をありがとうございます🙌
一から百まですべて衝撃的で、本物のパクリ道の奥深さがよくわかりましたが、一番衝撃的だったのは、ウチのダンナに「ピーターポール&マリーのパフって曲知ってる?」と聴いたところ「いつも車でかけてんだろ殺すぞ」と言われ「知らなかった。なるほど藤岡藤巻の曲そっくりだね」と言うと「その話は前にしただろぶっ殺すぞ」と言われたことです。
ごっつあんの手作りエレキギターはつらいよ
藤岡藤巻のライブでバックギターを弾かせていただいているごっつあんです。
一昨年からエレキギターを手作りしております。
しかし、これが難しく手間がかかる!
木材を手に入れ、切り抜きやすりで削る。木くずが山ほど出て鼻が詰まる。塗装に恐ろしく時間がかかるetc…。
現在まで4本作りましたが、制作に心が折れてしまいそうな今日この頃です。
“俺に一番似合うカッコイイエレキギターを作るぞ!”(;^_^A
そこで!このブログで制作過程をUPしてしまえば、引きこもり中坊みたいにちぢこまった心がマルマルモリモリと復活するんじゃないか!?
皆さまには、素人のギター作りにお付き合い頂けたらと思います。
STEP1~親父の心に灯った小さな火~
これは3台めに作ったエレキ。
テレキャスタイプのネック、ボディはフェンダーメキシコで作られた「トルネード」型です。こいつを作り直したい、
うーん、ピックアップを2マイク。ボディはもっとえぐって軽量化を図ろう。
-フェンダートルネード 2007年生産終了-
本日はこれで力尽きました。
次回は塗装を剥がしていきます。
2023年8月22日
静炉厳さんこんにちは!
藤岡さんのパクリと、山田さんのパクリとは、、、
意味がぜんっぜん違うじゃないかー!
と一応突っ込んでおきます(笑)。
昔は、海外のアーティストは憧れや尊敬もあり、みんなパク、、いや参考にしてましたよねー。