カテゴリ: 藤岡(ジェフ)孝章の話

※11月18日に書かれたブログです
 

藤岡です。
 

<入院当夜>
齢71歳にして、入院初体験の、初夜が終わりました。

まあ、もともと「どっか痛いとか」の自覚症状はなく、そんなに深刻じゃないってのもあって、病院の愚痴言いますが、まあ、イイもんじゃないね~。

でかいトコで、評判よくて、新しくって、態度も良く、メシは美味いとは言えないけど、我慢できる、って程度。

問題はね!

病院って、どこもそうだと思うけど、エンタメ性がないのよ。

機能に特化した結果、医学は進んでるんでしょうけど、

多少「QOL」を標榜してホテルっぽくしたりしてんでしょうけど、いかんせん、「ザ・病院!!

患者の「治ろう」「以前の生活に戻ろう」という意欲に働きかける努力が、まったく遅れてるの!

もっと「木」とか使えよって。ログハウスとまでいかなくても、隅けんごとか、星野リゾートの知恵とか使ってさ。

木肌見ると落ち着くっていうじゃん、観葉植物もさ、ビシバシ置きゃあいいじゃん(レプリカでも、殺菌して)。

樹脂と、プラスティックと、鉄パイプのベッドに蛍光灯。

「病院に、エンタメ性なんか必要ない」と思っている方、多いと思いますが、フジオカ的には(まあ通院も含めて)、

病気で弱ってる人こそ、精神的に希望を持たせるには、明るい精神状態に持ってく配慮がないと(まあ、精神医学は特に日本は遅れてるよねー)。

「病気なんだからしょうがないでしょ!遊びたいんだったら治ってから!」という、古い医療概念がいかんな。

病は気から治ったり、でも気力が失せて死んだりもする」でしょ!

まあ、月曜日にいよいよ手術なんで、そっから先はそんな文句なんか言ってられない状況かも知んないですが。



<で月曜日、手術開始>
そんな文句なんか言ってられない状況になりました!

つづきは次回で。

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しいたけ 

わーい藤岡さん

更新ありがとうございます
これまで入院されたことがなかったのですね
病院にエンタメ性は盲点でした!
隈けんごさんデザインの病院あったら
入院希望者が目白押しですね〜

藤岡藤巻のフジオカです。

1980年時代、フォーク系の事務所でディレクターの卵だったフジオカは、今思えば何でそんなことを言ったのかさっぱり分かりませんが、「もっとメジャーな仕事がしたい。フォークは嫌いだ」と思って、社長のG氏に、「メジャーなレコード会社に移籍して、アイドルとか担当したい」という、とんでもない申し出をしました。

驚いたことに、G氏はCBSソニーの制作部部長を紹介してくれました。

なんと優しい人なんでしょうか!

(まあ、スタッフとして持て余してたのかもしれませんが)

 
んで、たまたまソニーとしても、J事務所の新人グループの現場ディレクターを探していた時期で、即、五月五日にデビューする3人組のレコーディング・ディレクターを務めることになりました。

 
それが「シブがき隊」でした。

(あ、昨今話題の事件については書きませんので、期待してる方は期待しないでくださいね。)

最初、3人に会う前に、会議でデモテープ(なんか、アリ物の曲を歌ってた)と資料を見せられました。

唖然としました。ドッキリ番組かと思うくらい歌がひどくて、写真もイモっぽいガキで、「これ、デビューさせるの?ひょっとしてオイラ、からかわれてるのか?」と思ったくらいです。

その頃は、プロデューサーの上司(スタジオワークが出来ない)がいて、その人が発注した、森雪之丞作詞、井上大輔作曲で、「NAINAI16」がデビュー曲だと決まってました。

これまた「何だ、この曲は?嘘だろ?」という想いで、スタジオやってました。大御所たちや、有名なスタジオミュージシャンに囲まれて、スタジオのトークバック(スタジオ内と話すボタン)を、震える手で押してました。脇汗ビショビショで。

だってあなた、とんでもないヒット作を世に出してきた方々の視線の中で、ペーペーのフジオカがスタジオ仕切ってんですから💧

それも、「絶対、このプロジェクトは失敗する」という本音を隠してさ。

結果は、ご存じの通り、新人賞は獲るわ、紅白出るわで大成功するワケです。

歌はあんまり進歩しませんでしたが、まあテレビで恥かくレベルからは脱しましたし、何より、売れると本人たちも自信を持ってきて、どんどん洗練されてゆく過程を目撃出来たと思います。

まさに人生のカルチャーショックで、フジオカの音楽哲学の革命でしたね。

それまでは、「クオリティがヒット曲に繋がる」と思ってたのが、「ユーザーに認められてこそヒット曲」という、言わばプロの目線に変わったんだと思います。

目からウロコでしたねー。

その後の仕事でも、「ユーザーがミーハーだからと言って、手を抜いたら売れない」というのも学びました。

真剣に、ユーザー目線を探ってゆくと、やることは果てしなくあって、それからは目の回るような日々でした。

まあ、それ以前の音楽仲間からは、やった仕事を馬鹿にされたりしましたが、フジオカとしては、「好きな音楽だけをやってる」連中を、アマチュアだと思って馬鹿にしてました。

なんせ、当時のアイドルはみんなそうでしたが、シングル曲は、最初だけ売れてすぐ売り上げは落ちてゆくので、当然のように、シングルは年に4タイトル、アルバムは年に2~3枚リリースしてた時代です。

どういうことかと言うと、シングルの発売日には、もう次のシングルを録り始めなければならない、ってな業務で、その間にも、他の新人や、引き継いだベテラン歌手とかも担当させられ、一時は9人のアーティストを受け持ってました。

こういうと、自慢してるように聞こえるでしょうが、自分が「良い」と思う新人を発掘する余裕なんかなかったです。

でも、アイドルにとって、レコーディングは、いろんな仕事の中でもクリエイティブな場だったので、3人とはすぐに親しくなれました。

もちろん、音楽的には何も知らない16才のガキ達でしたので、とても素直に頼ってくれてたと思います。

他の現場では、かなり生意気だという話も聞きましたが、スタジオでは素直で可愛い奴らでした。

長くなりそうなので、後編も書こうっと!

フジオカです。

昔の記憶はまあ、曖昧なうえに、脳内で改ざんしてしまってるので、以下のエピソードはあんまし定かではありませんが、あの頃友人だったのは間違いないので、長渕剛との想い出を書き留めておこうと思いました。

本人は、今さら昔の話を語られるのは面白くないかも知れませんが、リスペクトしてる話なので我慢していただけるでしょう。 

まりちゃんズを解散した後、フジオカは別な仲間と、普通の(ってのもおかしいけど?)バンドを組みました。

Do!」という3人組で、まあシティ・ポップで、アルバム2枚と、シングル幾つか出しました。もちろん売れなかったけど。(こっちは、出来れば探して聴いたりしないでくださいな。カッコつけた恥ずかしい曲ばかりで(;^ω^)、出来も良くないし)


その頃、彼と同じ事務所だったということで交友して、事務所の社長兼プロデューサーのG氏の発案で、剛&Do!で、「チョコレッツ」という、いい加減なユニット組んで、いくつかライブやった記憶があります。

んで、その頃、渋谷の松濤の剛のマンションで、曲作ったり飲んだりして、仲良くなったんですが、特にフジオカは、何故か毎晩のように電話もらって(当時だから、固定電話ね)、長時間会話してました。

んで、彼のシングル「夏の恋人」を一緒に作ったんですが、誰かと一緒に曲を作る作業の難しさも体験させてもらいました。

「こっちのメロの方がイイ」「オレはそうは思わない」とイイ出したら、キリがないですからね。

レノン&マッカートニーが「奇跡」な所以ですね。

余談ですが、「藤岡藤巻」の作曲は全部、フジオカ担当なんですが、藤巻君はメロに関して文句を言ったことは一回もないです。

良いとも、悪いとも言わないのはムカつきますが。まあ全面的に信頼されてると捉えれば、モメないで済むし。

剛の話に戻りますが、今のイメージからすると意外でしょうし、ホントの彼を理解してる人にしか納得してもらえると思うんですが、特にあの頃の剛は(「順子」とか「巡恋歌」の頃ね)、メッチャ繊細な奴でした。

言動は乱暴なんだけど、アイドルっぽく売れちゃった感があって、本人も悩んでたんだと思われます。

東京で相談する友だちもおらず、んで、病んでるフジオカに共感したんでしょうかね?

「田舎者のコンプレックス」と、「東京生まれの後ろめたさ」みたいなことは、よく話題になりました。

とはいえ毎晩、何を話し合ってたかまったく覚えてませんが、ワリと本音で語り合ったのは間違いない気がします。お互い、青かったですからね。

後に、ニッポン放送ラジオで、「長渕君と藤岡君」という、月~金の帯番組の相棒にも(オーディションとかしたらしいけど)何故か無名のフジオカを選んでくれて、メジャーなラジオ番組のレギュラーという体験もさせてもらいました。途中で、フジオカがCBSソニーに勤めたので短命に終わりましたが。

でもまあ、ラジオ番組体験としては、

ラジオ関東「どーんとまりちゃんズ大進撃」や、

文化放送「一フジ二フジ三オヤジ」(藤岡藤巻)や、

もっというと現在のYoutube配信の方が、全然楽しいですがね。やっぱ、メジャー活動は向いてない性分なんですね。

藤岡も藤巻も、メジャーな席に出ると、急にシュンとなっちゃいますからねー。権威に弱いアングラなんです。情けない。

ですから、フジオカとしては、剛がその後、あの変貌を遂げていったのも、彼の繊細さの逆な意味での表れで、コンプレックスのパワーだと見ると、意外ではなかったです。(心ある近しい支持者は、みんな分かってたと思いますが)

名を残すようなスーパースターは、誰しもが「繊細さ」「コンプレックス」を抱えて、成功してるですね。

逆に「鈍感」「ナルシスト」で成功してるミュージシャンの方が少ないと思います。

まあ、今現在の剛と会っても、「つよしー」「フジオカさんー」とは呼び合えないし、腹割って話す可能性ももうないとは思いますが、もしか死の間際にプライベートで会えるとしたら、「で、実際の所、人生どうだった?」とか話しあいたい気もします。



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しいたけ

またまたとっても貴重なお話
ありがとうございます
毎晩長電話で本音を語り合うほどの
信頼関係と熱さ、ステキですね
ラジオどれも聴きたいです
どこかに音源残ってないのかな〜


「藤岡藤巻」の藤岡でっす。

先日、CHARの大ファンというアマチュアのオジサン(60才くらい?)が、「気絶するほど悩ましい」をエレキ弾きながら歌ってました。「ドンピシャ世代」だそうで。


CHARとは実は「尾崎家の祖母」のレコーディングで初めて出会って、当時は「スタジオ・ミュージシャン」ってのは、明確な職業ではなく、たまたま「スモーキー・メディスン」というバンドがエレックレコードに所属して、金子マリ始めメンバーみんなやたら上手いので、レコーディングに良い様に使ってただけだと思います。

んでまあ、スタジオで、1mくらい目の前でギター弾かれて、藤岡も多少エレキに自信はあったんですが、「もうエレキの道は諦めよう」と決心した記憶があります。聞いたら18才ですと!(フジオカは22才)

 
「尾崎家の祖母」のイントロ、間奏、エンディングは、たぶん2回くらい弾いただけで、非の打ちどころのないアドリブ弾きやがって、バケモノだと思いました。

因みにアレンジャーは、S瀬寿一サンだったと思いますが、

藤岡が書いた歌詞カードのコードを、コード譜に移しただけで、まあアレンジって呼べる仕事じゃねえなー、こりゃCHARのアレンジじゃん、ってカンジでしたわ。


とにかく「尾崎家の祖母」みたいなコミックソング弾かせて、申し訳ない気分だったですが、なんせヤツも右も左も分からないガキんちょ天才でしたから、文句も言えなかったんでしょう。

 
その後のCHARはご存じのとおりですが、たぶん「気絶するほど~」は、本人はまったく不本意だったと思います。

まあ、レコード会社とかのオトナに強引に説得されたんでしょうね。でも、結局は、一般的には代表曲になってるワケで、ギターが幾ら上手くても、結局は「ヒット曲」は生まれないですね、オトナの戦略がないと。
 

E.クラプトンが、それにいち早く気づいて、ヒット志向に進んで「Tears in Heaven」でグラミーかなんか獲って、ギタープレイの方はどんどん衰えていったのと真逆ですね。

つまるところ、Charは、エレキが好き過ぎたんでしょうね。

その後も作曲家を目指したりして、ディレクターになったフジオカは、依頼したりしたんですが(「尾崎家の祖母」の話をしたら、曖昧な対応でしたが)、残念ながら、出来たのはややこしい曲で、ボツにせざるを得ませんでした。

名プレイヤー、必ずしも社会的評価受けられず、といったところでしょうか。

押尾コータローとかもそうですが、スーパーミュージシャンは何処かで、オトナにならないと(つまり自身の理想を捨てないと)、大衆の支持は得られないですね。


前述のスモーキーメディスンのKeyboardの佐藤準も、異常なテクニックだったですが、後にアレンジャーとして売れっ子にはなりましたが、おニャン子の「セーラー服を脱がさないで」を作曲した以外は、後藤次利にとって代わられた(次利もベースは上手いよ~)のは、たぶんオトナになって魂売ったからでしょうね。


まりちゃんズも、藤岡藤巻も、最初っから魂売ってんですが、結果が今ひとつなのは、魂を売り過ぎたせいかもしれませんね(;^ω^)


いずれにしろ、今聞いても、「尾崎家の祖母」のギターは、CHARのキャリアの中でも、一番の名演じゃないかと思います。若さだけで才能を爆発させてるところが、クラプトンの「CREAM」解散ライブの「Crossroads」の奔放なソロに匹敵するんじゃないかなあ。


ギタリストは、歳月を経ると味わいは増えますが、どうしても、天才の一瞬の奇跡は、若さならではですねー。

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しいたけ

あのすごい楽しいエレキ
フツーに藤岡さんが弾いてると思ってました
もーしわけありません
CHARさんのファンのみなさまもお喜びの
貴重なお話ですね〜
ありがとうございます

藤岡藤巻のフジオカです。

夏が終わろうとしてますが、この齢になっても、「晩夏」とか言われると、独特な切ない気持ちになりますねー。

やっぱ、小中高と12年間、「8/31で夏休みは終わり」と刷り込まれた「嗚呼・・・」という思いが、まだ身体に染みついているのかも知れません。

思えば、冬にハワイ行ったり、秋に沖縄行ったりするのが好きだったのも、夏の終わりを認めたくないってえ子供っぽい想いだったのでしょうか?

初めてハワイへ行ったのも日本が真冬の頃で、「何だ!この島は!一年中夏休みじゃねえか。こいつらはズル過ぎる!」と憤ったのを覚えてます。

そのせいで、マウイの災害に対しても、不謹慎ながらあんまし同情を感じない自分がいます。

鎮火した後で、「家が全部燃えてしまいました」と泣いてるオバサンが、澄み渡るブルーススカイの元でインタビューされてても、「まあ、また頑張れば?」とか、思ってしまいます。

勿論、「澄み渡る青空」は、昨今のTOKIOもそうなんですが、ハワイは、偏西風の関係で、北東の風が常時吹いてて、ホノルルや、ラハイナは南西岸にあるので、山で雨降らした乾いた風が、一年中吹いてるんです(# ゚Д゚)

だから、オアフも、マウイも、主たるリゾート地は西南にあります(沖縄もそうです)。

だから、昨日今日のクソ蒸し暑い日は、ワイハにはあんましありません。

おまけに、パックス・アメリカーナ時代に生まれた典型的リゾート地なので、冷房は使い放題。

そして、水源が少ないから、水はほとんどが輸入。

もちろん油田はないから、エネルギーもすべて輸入。

出るゴミがものすごいから、多くをハワイ島の空いてる野原に捨ててる。

つまり、人類の快楽のためだけに存在して、消費しかしておらず(生産はパイナップルとか土産物?)という、「究極のバチ当たり島」なんです。

資本主義社会の醜悪さの象徴です。

SDG‘sの対極にある楽園ですね。

そんなこんなで、友だちに拡散したら大受けした、フジオカの夏のレジャーの動画、貼ります。



娘に言われて導入した組み立てプールなんですが、コロナの3年間、これにどれだけ助けられたことか!

ポイントは、腰にゴムロープまいて、どっかに縛り付けて泳ぐんです。つまり、どんなに頑張っても前に進まない(流れるプールを逆行するカンジです)。

瀬戸大也(不倫で話題になった)が、実際のトレーニングでやってたんですが、これが、意外に「泳いでる感」満点で。かなり疲れます。

欠点は、ご覧の通り、外から見てると馬鹿丸出しな点ですが、裏庭で誰も見てないし、設置も30分かからないし、アマゾンで10,000円くらいです。

最近調べたら、やっぱヒット商品らしく、もっと安くもっと簡便なのを売ってました。どうやら周囲が蛇腹状に輪になってるみたいで。いずれにしろ、ロープで固定がキモです。これがないと、何もすることがありません。

瀬戸大也のヤツは、フジオカんちより一回り大型でクロールが出来ますが、ウチのは平泳ぎしか出来ません。でも、思い切り四肢を拡げても、ぎりぎり接触しません。

考えてみれば、ビバリーヒルズでどんなに広いプールを作って見ても、ひと独りが使うスペースは、せいぜい1.5m×2mで充分って事です。床のプリントがタイルなので、泳いでる限り、「ザ・プール」です。

ただ、実際に泳いでみないと、快適さが実感できないので、おススメ出来ないのが残念です。

さっきも、ナイトプールやってきました。隣の家の玄関灯が、ちょうどイイ照明でさ(#^.^#)

9月中旬くらいまでは、泳ぎまくるぞ~!



  • nakamura-kun

    お嬢様と、奥様の、隠し撮り動画も、
    アップ、お願いします‼️

  • しいたけ (id:she_take)

    わーい藤岡さん
    更新ありがとうございます
    ギャハハ〜これ見たかったやつだ!
    常人には思いつかないし
    思いついたとしてもやらないし
    やったとしても動画を拡散しないのに
    さすが藤岡さんです〜

「藤岡藤巻」のフジオカです。

先日、元上司の訃報が届きまして。

まあこの年代になると、訃報には慣れっこになってるんですが、退役後も長く過ごした数少ない友人の訃報は、やっぱケッコウ応えますね。引きずってます😓

つまり、以下はまったく個人的な内容でつまらないので、読まないでもイイです。
 

前の会社の上司だったんですが、会社の上司って、辞めるとほとんど会わなくなるもんですが(嫌な奴が多いしね)、今回、他界した先輩は、退社後も「友人」のままの関係を10数年続けた、稀有な例でした。

 「藤岡藤巻」を絶賛し続けてくれていて、在職中はさすがに遠慮してたようですが、退職後はブログはじめ、事あるごとに論評を周囲にアピールしてくれて応援してくれてました。

ライブにも何度も来てくれて、いちいち細かい評価を送ってくれました。(まあ、洋楽系のプロデューサーだったので、評論は大得意で)

残念ながら数年前にリンパ癌を患ってしまい、コロナ以降、ライブはおろか、リモートでたまに会うだけで、生対面出来ずに逝きましたが。

あ、クドイですがこの話は、フジオカのただの独白なんで、この辺で飽きてもらってダイジョブです。

「訃報慣れ」してるはずなのに、彼のだけが特別に辛いのは、何故なんだろう?と思っていろいろ考えてしまっているだけです。

好人物だけど、だらしない人だし、そこそこ切れ者だったけど、付いていこうとは思わなかったし、実際にも大成功した人じゃないし。


彼が「本部長」(レーベルのトップ)だった時に、フジオカが初めて「制作部長」に配されて、その後は、ヒットが出ず暗い時期を共有したからですかね。

その後、人事異動があってすぐ後に、彼は「夏祭り」(ホワイト・ベリー)で大当たりしますが、ギョーカイ的には、洋楽部長時代の長いキャリアの中では、CLASHや、CHEAP TRICや、エアロスミスとかに係わった実績のがスゴいですが。

藤岡藤巻の中では、「イメージの宴」が大好きで、御自身のコミュミティFMでもフルコーラスかけたり、ブログで歌詞を全文載せて、分析してくれたりもしました。

「間違いなく、フジオカの最高傑作だ」とか、

「歌唱自体は、藤巻の方が説得力がある」とか、

イラつく評価もありましたが、真剣に聴いてくれてるのは嬉しかったです。

「娘よ」の誕生のキャバクラに一緒に行ったのも彼ですし、

「やらしてくれ」のヒントもいただきました。

「死ね」シリーズも全部絶賛してくれてたので、告別式では複雑な思いもしましたが、理解してくれていたと確信します。

まあ、今後はこんなに偲ぶ話書いても良くないと思うので自粛しますが、ブログかける場を与えてくれた際に、参考にしたのも彼のブログでして、なんと2006からAmebaで、千回以上書かれていて、どれも秀逸なエッセイです。

今となっては、長~い遺言な気もして、「こういう最期の記録の仕方って、現代ならではだなー」と思いました。

闘病中の報告とか、退院の悦び(数回、入退院の報告がありました)とか、

死が迫ってきてからのブログは、リアルタイムな静かな迫力を感じました。

最後の瞬間は、突発の発熱~ICU~臨終という、残念なカンジでしたけど、まあ、「好きなタイミングで死ねる」人だったというのは、ちょい羨ましい(-_-😉

願わくば、見習ってこのブログを続けながら、長い遺言になればと思います。


今年で近しい人の訃報は4件目になります。

でも、かと言って「死ね」シリーズを控えようとは全然思いません。むしろ「死」を歌い続けたい決意です。

亡くなった方を思いながら、「死んじゃう音頭」を聞くと、独特な想いで聴けます。不謹慎だとはまったく思わず、むしろ「死」をもっと深く笑える曲を目指したいです。

が、なんか、切なさや、喪失感や、虚無感は別物で、泣きそうにはなりますが。

「根っからの無神論者の、人が死ぬということへの納得」みたいな思いです。 

「♪死んだら骨になる~」


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【リニューアル前にいただいたコメント…ありがとうございます!】

  • しいたけ

    元上司の方と友人として続くなんて
    ステキなご関係ですね
    お別れ、ほんとうにさみしくつらいですね
    心にも体にも大変なダメージだと思います
    どうぞお身体大切になさってください。
    私はこれまでそのようなときに
    AIさんのおくりびとを聴いていましたが
    これからは死んじゃう音頭を聴きたいと思います

    delete
  • nakamura-kun

    最近は音楽を聴くより、文章が読む方が好きです。うるさくないから。

    藤岡さん、元上司が友人だなんて、羨まし過ぎます。
    よって、友人がいない私には、藤岡さんの心中ははかりしれませんが。

    マンションの清掃員として12年と半年。
    その間、十数名の方が、亡くなられました。
    おはようございます、こんにちは、失礼します、ご苦労さま……
    日々、挨拶を交わすだけの関係でしたが、
    ふとした折に、唐突に、ああ、あのひとは、もう、いないんだなあ……
    と思い、涙している自分がいます。

    両親が亡くなったときも泣かなかったのに。
    何年も、何千回も、挨拶だけ交わしてきたひと。
    なんの利害関係がないから、人がいなくなる存在であることを
    しみじみ感じさせられてしまうのかも知れません。

    藤岡さん、話の振り幅が凄すぎて、最高です!
    裏庭プールの話を読んでから、御友人との話を再読して、
    これを書きました。 
    それにしても、しいたけさんのブログ、2話とも、面白すぎると思いませんか、藤岡さん⁉️


フジオカです!

まあ~、皆さん!夏休み中の、夜の池上はスゴいっすよ!

自転車のマナーの悪さ!

小学生のガキども(親が馬鹿なんだろね)が、無灯火で、信号のない交差点を、全速で飛び出してきます。

ジイサンとしては、超低速で運転して万全の注意を払ってるんですが、「ほとんど自殺行為」と思われる飛び出しがあります。

ロールプレイングゲームのようです。

急ブレーキを踏んで事なきを得ると、ガキの後ろから、同じく無灯火の親が、のんびり出てきます。

自分の子供が、死ぬかもしれないという状況が、想像出来ないんでしょうねー。

こっちゃクルマですから、車体に傷が付くくらいなんですが、そちら側は下手したら我が子が死んじゃうんですよ?

たぶん、馬鹿で想像力がないだけで、悪気はないんでしょうから、実際にそうなった途端に、大騒ぎして人並みに悲しんだりするんでしょうけど。

過失は100%、先方の親の管理不行き届きなのに、莫大な補償&下手したら交通刑務所に入らされるかも知んないこっちの身にもなって欲しい!


オトナでも、無灯火の上に、スマホ自転車も多いです。

実際に接触を起こした友人に体験談聞いたら、警察で現場検証になった時は、「自分はスマホなど見ていない。ライトは、接触時に切れた」という言い訳が通用するらしいです。

自動車×チャリンコの事故ではどんな場合でも、必ず前者がヴィランになるです(# ゚Д゚)


先日は、夜中に、スマホでTV通話しながら自転車で走る強者オバサンもいました。日本語じゃない言葉で、大声で会話してました。LINEとかで、TV通話するのに慣れると、通話と言えば動画付き、が当たり前になってるんでしょうね。まあ、無灯火ですが、顔だけ光るんで、無料お化け屋敷みたいなカンジですが。


総括すると、庶民(大衆、愚民、一般人)ってのは、基本、自己の客観視能力が低いですね。周囲から見て、自分が今どういう状態にあるかを把握しようとしてない。(藤巻君的な感性だね)


例えば銭湯で、段差のある通路で座っている若者、

浴室の出入り口で身体を拭いている中年、

サウナ室の手前で、入ろうかやめようか決められず立ちすくむジジイ。


どれも、「自己の客観視」の欠落です。その証拠に、悪気はないらしく、「すいません」」とか言うと、「あ?・・・ああ・・」とか言って退きます。


選民思想ではありませんが(いや、はっきり選民思想ですね)、そういう悪気のない馬鹿の方が多数派で、多数派ゆえに膨大なCO2を出して、温暖化で、結果この猛暑かと思うと、無灯火自転車に八つ当たりでブチ当たりたい気分ですねー。

昔の「暴走族」にも思ったけど、どっか知らない場所で、深夜、道路にピアノ線でも張って、見せしめにしてくんないかなあ(フジオカはやりませんよ!余生を穏やかに過ごしたいですから(;^ω^))

皆さまも、ゆめゆめ油断されませぬよう、夏の夜を乗り切りましょう。

早く終われ!夏休み。

 
あ!「死ね!夏休み」って曲、作ろう!

今年は間に合わないから、来年ね🎵


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【リニューアル前にいただいたコメント…ありがとうございます!】

  • たっきぃ

    藤岡さんこんにちは!
    池上だけのことではないですよー。
    夏休みだから子供のチャリンコ暴走族の多いこと多いこと、、、
    私も慎重に慎重をかさねて運転しています。
    「死ね!夏休み」楽しみです!!

  • しいたけ

    わーい藤岡さん
    投稿ありがとうございます
    無灯火池上児童のおかげで
    藤岡さんが毒を吐き、曲をつくる。
    我々のような愚民どもがそれをありがたがる。
    世の中はそのようにできているのですね

  • 中村

    藤岡さんのコメント、楽しみにしてます。もちろん、藤巻さんのも。ぺったーさんに感謝です!(感謝の安売りの風潮に便乗しました)

    マンションの日常清掃員をやっているのですが、駅が近いので、出勤途中でゴミを捨てていく人が少なくないです。

    先日、その瞬間を目撃、注意したら、
    え、このまま、駅にいったら捨てられないじゃん! どうすんの!と逆ギレされてしまいました!

    倫理観の欠如は、なかなかのものがあります。わたしはロボットではありません、チェックしろとうるさいので失礼します。


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