「シンデレラ」を筆頭に、おとぎ話とか、童話とかは、深く考えてみると、何なんだ?って話が多いですね。
今ひとつ、メッセージや教訓が分からず、逆に無意味な狂気や、残酷な話が多い気がします。
民間に語り継がれて残っている寓話なんでしょうから、たぶん人間ってヤツは、根本的に根暗なDNAを持っているというか、「業」を背負ってるのかも知れませんね。
「白雪姫」は、毒リンゴで眠らされたお姫様が、本人はまったく事態の推移を把握してないのに、気絶して目が覚めたら知らない男(王子様とはいえ)に、合意なしに唇と奪われて目覚めます。
今ひとつ、メッセージや教訓が分からず、逆に無意味な狂気や、残酷な話が多い気がします。
民間に語り継がれて残っている寓話なんでしょうから、たぶん人間ってヤツは、根本的に根暗なDNAを持っているというか、「業」を背負ってるのかも知れませんね。
「白雪姫」は、毒リンゴで眠らされたお姫様が、本人はまったく事態の推移を把握してないのに、気絶して目が覚めたら知らない男(王子様とはいえ)に、合意なしに唇と奪われて目覚めます。
普通なら悲鳴ですが、問題なく終わります。
今の時代、コンプライアンスはどうなってるんでしょうか?
おまけに、ディズニーアニメ版では、白雪姫はそのままキスを受け入れます。とんだ淫乱娘ですね。
今の時代、コンプライアンスはどうなってるんでしょうか?
おまけに、ディズニーアニメ版では、白雪姫はそのままキスを受け入れます。とんだ淫乱娘ですね。
「人魚姫」も泡になって消えるし、「赤ずきん」に至っては、不用心極まりない赤ずきんの愚行のせいで、狼が惨殺されます。
「美女と野獣」では、あきらかに賭けに出た女が、醜い野獣を愛したふりをして村を救い、結果的には、ご都合よくイケメンに変貌してハッピーエンドです。
現実的には、どっちかというと「醜い野獣」側の人間として生きている我々普通の男性としては、イケメンの王子様に変身する可能性がないのに、いったい何を学べばいいのでしょうか?
現実的には、どっちかというと「醜い野獣」側の人間として生きている我々普通の男性としては、イケメンの王子様に変身する可能性がないのに、いったい何を学べばいいのでしょうか?
中でも、「シンデレラ」は、欺瞞と矛盾と、そして絶望的な教訓に満ちた物語です。
分かりやす~い継母の陰湿なイジメにあうシンデレラは、舞踏会に行きたがりますが、もともと彼女の美貌は、周囲も認めているようです(そのせいで、義姉妹からもイジメられたのでしょう)。
彼女は、現況を打破するとしたら、美貌を利用して自力で生きてゆく道を打開するべきだったのです。
そこへ、明らかに思慮の浅い魔法使いが現れ、シンデレラの苦境を変えるではなく、「着飾って舞踏会へ行きたい」望みだけを、時間限定で叶えます。
かなりのスキルの魔法使いなのですから、一回だけ12時までの幸せではなく、毎日少しだけ幸せになる(例えば、日常の仕事が楽になるとか、継母が少しだけ優しくなる)とかいう魔法くらい出来そうだったのに。
そこへ、明らかに思慮の浅い魔法使いが現れ、シンデレラの苦境を変えるではなく、「着飾って舞踏会へ行きたい」望みだけを、時間限定で叶えます。
かなりのスキルの魔法使いなのですから、一回だけ12時までの幸せではなく、毎日少しだけ幸せになる(例えば、日常の仕事が楽になるとか、継母が少しだけ優しくなる)とかいう魔法くらい出来そうだったのに。
目先の欲に目が眩んだシンデレラ(若いからねー)は、おとぎ話の世界にトリップします。魔法と言うよりはドラッグ系の出来事ですね。
そして、あたりまえですが、王子さまは、ルッキズム100%で、彼女を好きになります。
ここからが、このお話の暗黒面が始まります。
ここからが、このお話の暗黒面が始まります。
王子さまは彼女と恋に落ちて(というよりはキスくらいは出来るつもりでいたでしょう)、「あの娘とまた逢いたいよ~」と駄々をこね、部下が必死に探します。
ガラスの靴は本来必要ありません。
ガラスの靴は本来必要ありません。
何なら、領内から年頃の娘を全員引っ張ってきて、王子様に引見させればいいのですから。
どういう王国か知りませんが、領民は逆らえないでしょう。(王子様も目移りして「違うけど、この娘でもいいや」とかなるかも知れませんし)
どういう王国か知りませんが、領民は逆らえないでしょう。(王子様も目移りして「違うけど、この娘でもいいや」とかなるかも知れませんし)
そして、シンデレラと再会した王子は、権力を使って関係を持ちます。
王国の制度は知りませんが、正妻か、側室か、妾かは分かりません。
少なくとも、シンデレラは経済的、労働的には生活はアップしたでしょう。
しかし、王子さまは「ルッキズム・オンリー」で見染めた訳ですから、性格的、内面的にうまく付き合っていくのには、かなり難しいでしょう。
ちなみに、多くの「王子様」ってのは、イケメンであるだけでなく、人格的にも優れているように描かれていますが、フジオカは「イケメンであり、かつ人格的にも優れている男性」を、まず見かけたことがありません。
そして、シンデレラの王子においては、はっきりダメ男だと断言できます。
彼は、「シンデレラが欲しい」と言って、何ひとつ努力をせずに、全部を部下に命じてGetするのです。彼は、何もせずに待っていたワケです。
彼は、「シンデレラが欲しい」と言って、何ひとつ努力をせずに、全部を部下に命じてGetするのです。彼は、何もせずに待っていたワケです。
そして、再会した後は、たぶん盛り上がってヤリまくったことでしょう。
でも、もっと想像をたくましくしてみてください。
でも、もっと想像をたくましくしてみてください。
ほの暗い舞踏会(当時はお城とはいえ大量の蝋燭だけですからね)で見かけたシンデレラと、発見されて昼間見るシンデレラでは、王子も多少の「あれ?」みたいな思いもあったのでは?
でも、王子様にとっては、貴族の若い娘と違って、村娘って素朴さは、ある種の珍味であったのかも知れません。
でも、「珍味」は、必ず飽きます。
どんなに美味しくても、珍味を主食にする人はいません。
いわゆる「吊り橋効果」と同じく、日常に飽きずに食べるのは、白米であり、食パンであるはずなのに、恋愛の悪魔ってヤツは、「ドラマチック」に罠を貼って、男女を情熱から奈落に落とすのを喜びとしてるのです。
そう、「エデンの蛇」は、シンデレラのストーリーにも伏線として登場しているのです。
そう、「エデンの蛇」は、シンデレラのストーリーにも伏線として登場しているのです。
「The End」マークの後のシンデレラが、藤岡藤巻の歌のような未来だったかどうかは分かりませんが、当時の統治体制、王政の常識、倫理観の未熟さから考察してみました。違う予想があったら反論お待ちしています。
考えてみると、大多数の女性が大好きな「王子様」というキャラは、あらゆる男子の中でも、恋愛相手としては最も不適切ですね。
だって、ボンボンの極み、遊び人、努力しない、挫折を知らない、夢がないから達成感も知らない、苦労して得る喜びも知らない、女性とのトキメキも不安も知らない、まさに「男のクズ」ですね。
童話「シンデレラ」の罪は重いです。
数多の女性が、その犠牲になって我が身の不運を嘆いてます。それも幼少期の純粋で未熟な感性に、無責任極まりない無根拠の美学を刷り込んだワケですから。
…という考察をしつつ、「シンデレラの最後」という歌をつくりました。
…という考察をしつつ、「シンデレラの最後」という歌をつくりました。
追記ですが、メロディのパクリ元は2か所です。
どちらも、メロディメーカーの端くれとして、落ち込むくらいの名曲ですねー。
コメント
コメント一覧 (1)
この考察を一読しまして、むかし読んだ、、、
「ホントは怖いグリム童話」
を思い出しました。
当時、白雪姫に関する記述にショックを受けたのを覚えています。
白雪姫が王様をたぶらかす近親相姦や、7人の小人との和姦輪姦、、、
そうかそういう解釈もできるんだあ、、、と
withoutのライブで聞いたとき、ワルツのメロディーで確かに「太陽がいっぱい」を連想しました。。。
パクリのレベルじゃあないのは言わずもがなで、、、素晴らしい曲ですね!
萩原ペン太(ハギペン)
が
しました