藤岡藤巻のフジオカです。
1980年時代、フォーク系の事務所でディレクターの卵だったフジオカは、今思えば何でそんなことを言ったのかさっぱり分かりませんが、「もっとメジャーな仕事がしたい。フォークは嫌いだ」と思って、社長のG氏に、「メジャーなレコード会社に移籍して、アイドルとか担当したい」という、とんでもない申し出をしました。
驚いたことに、G氏はCBSソニーの制作部部長を紹介してくれました。
なんと優しい人なんでしょうか!
(まあ、スタッフとして持て余してたのかもしれませんが)
んで、たまたまソニーとしても、J事務所の新人グループの現場ディレクターを探していた時期で、即、五月五日にデビューする3人組のレコーディング・ディレクターを務めることになりました。
それが「シブがき隊」でした。
(あ、昨今話題の事件については書きませんので、期待してる方は期待しないでくださいね。)
最初、3人に会う前に、会議でデモテープ(なんか、アリ物の曲を歌ってた)と資料を見せられました。
唖然としました。ドッキリ番組かと思うくらい歌がひどくて、写真もイモっぽいガキで、「これ、デビューさせるの?ひょっとしてオイラ、からかわれてるのか?」と思ったくらいです。
その頃は、プロデューサーの上司(スタジオワークが出来ない)がいて、その人が発注した、森雪之丞作詞、井上大輔作曲で、「NAINAI16」がデビュー曲だと決まってました。
これまた「何だ、この曲は?嘘だろ?」という想いで、スタジオやってました。大御所たちや、有名なスタジオミュージシャンに囲まれて、スタジオのトークバック(スタジオ内と話すボタン)を、震える手で押してました。脇汗ビショビショで。
だってあなた、とんでもないヒット作を世に出してきた方々の視線の中で、ペーペーのフジオカがスタジオ仕切ってんですから💧
それも、「絶対、このプロジェクトは失敗する」という本音を隠してさ。
結果は、ご存じの通り、新人賞は獲るわ、紅白出るわで大成功するワケです。
歌はあんまり進歩しませんでしたが、まあテレビで恥かくレベルからは脱しましたし、何より、売れると本人たちも自信を持ってきて、どんどん洗練されてゆく過程を目撃出来たと思います。
まさに人生のカルチャーショックで、フジオカの音楽哲学の革命でしたね。
それまでは、「クオリティがヒット曲に繋がる」と思ってたのが、「ユーザーに認められてこそヒット曲」という、言わばプロの目線に変わったんだと思います。
目からウロコでしたねー。
その後の仕事でも、「ユーザーがミーハーだからと言って、手を抜いたら売れない」というのも学びました。
真剣に、ユーザー目線を探ってゆくと、やることは果てしなくあって、それからは目の回るような日々でした。
まあ、それ以前の音楽仲間からは、やった仕事を馬鹿にされたりしましたが、フジオカとしては、「好きな音楽だけをやってる」連中を、アマチュアだと思って馬鹿にしてました。
なんせ、当時のアイドルはみんなそうでしたが、シングル曲は、最初だけ売れてすぐ売り上げは落ちてゆくので、当然のように、シングルは年に4タイトル、アルバムは年に2~3枚リリースしてた時代です。
どういうことかと言うと、シングルの発売日には、もう次のシングルを録り始めなければならない、ってな業務で、その間にも、他の新人や、引き継いだベテラン歌手とかも担当させられ、一時は9人のアーティストを受け持ってました。
こういうと、自慢してるように聞こえるでしょうが、自分が「良い」と思う新人を発掘する余裕なんかなかったです。
でも、アイドルにとって、レコーディングは、いろんな仕事の中でもクリエイティブな場だったので、3人とはすぐに親しくなれました。
もちろん、音楽的には何も知らない16才のガキ達でしたので、とても素直に頼ってくれてたと思います。
もちろん、音楽的には何も知らない16才のガキ達でしたので、とても素直に頼ってくれてたと思います。
他の現場では、かなり生意気だという話も聞きましたが、スタジオでは素直で可愛い奴らでした。
長くなりそうなので、後編も書こうっと!
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