「藤岡藤巻」のフジオカです。
やった!ついに念願のホームページが出来て、ついにブログが書けるようになりました!
これで、毎晩ため込んでいた「愚痴」を発表できます。
まあ、ブログって皆さんも、だいたいが「何喰った」とか、「今日こんなことがあった」とか、およそ人の役に立たない情報の一方通行じゃないですか。
だったら、フジオカも、毎晩、悶々と悩む夜を、ブログに吐き出させていただけると、少しでも入眠障害が治るかも。さてと、誰の悪口から書こうかなー。うそうそ。
まあ、ブログって皆さんも、だいたいが「何喰った」とか、「今日こんなことがあった」とか、およそ人の役に立たない情報の一方通行じゃないですか。
だったら、フジオカも、毎晩、悶々と悩む夜を、ブログに吐き出させていただけると、少しでも入眠障害が治るかも。さてと、誰の悪口から書こうかなー。うそうそ。
先日、小学校の同窓会があって、藤巻君も来たんですが、やっぱ、「まりちゃんズ」の始まりの始まりの話でもしましょう。
その会の時にも聞かれたんですが、「何故、藤巻とずーっと一緒にやってんの?」と言われ、「何故なんだろね?」と答えたんですが、やっぱ多感な20才の頃、「まりちゃんズ」でレコードデビューしたのが、デカかったですかね?
その会の時にも聞かれたんですが、「何故、藤巻とずーっと一緒にやってんの?」と言われ、「何故なんだろね?」と答えたんですが、やっぱ多感な20才の頃、「まりちゃんズ」でレコードデビューしたのが、デカかったですかね?
まあ「小学校の美少女『まりちゃん』に、3人とも憧れていて、大学時代、毎晩飲んでる中で、「やっぱ告白しよう!」ってなって、フジオカが決行したワケですよ。
んで、見事に振られて、生涯最大の失恋をして、他の2人は、はっきりフラれたワケではないんだけど、まあ、3人で、「まりちゃんを見返してやろう」的なことになったです。
んで、作ったのが「まりちゃん」「ブスにもブスの生き方がある」「梅毒蟻地獄」ですから、明らかに途中から「見返してやる」目的を見失って、自分たちの面白い方向に暴走しちゃったですね。若さのせいですね。
まあ、当時は3人とも、「フォーク・クルセダーズ」が好きで、コミックソングが流行ってて、みたいな時代背景がありましたし。
んで、ひょんなことから「エレックレコード」のオーディションみたいなのが、川崎さいか屋デパートであって、出て、スカウトされて、デビューと言う、まさに行き当たりばったりで始まりました(全然、伝説っぽくない)。
まあ、終わった控室で、「ひょっとしたら、スカウトされて売れちゃうかもよ。したら何買おう?新車かな?」みたいな話をした記憶はあります。なんという甘ったれた若者だったでしょう?
当時は3人とも、世間知らずのバカでした。今の時代の「オレは本気出したらスゴい!」とかいう風潮を笑えないよねー。
当時は3人とも、世間知らずのバカでした。今の時代の「オレは本気出したらスゴい!」とかいう風潮を笑えないよねー。
そして、自信満々のデビュー曲、「ブスにもブスの生き方がある」が発売!
信じられないくらいの悪評で、エレックには、カミソリ入りの封筒や、バリバリに砕かれたレコード盤が送られ、3人は、初めての強烈な挫折を体験します。
そして、運命はどんどん堕ちてゆくのですが、この続きはまた次回!
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【リニューアル前にいただいたコメント…ありがとうございます!】
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【リニューアル前にいただいたコメント…ありがとうございます!】
(しいたけ)
わーい藤岡さん
初投稿おめでとうございます
ありがとうございます
まりちゃんズの始まりの始まりに
胸ときめかせる丑三つ時です
入眠障害なおりますように
(中村)
オーディション受けて一発合格、即、デビュー。やっぱり天才だったんですね。
4学年下の私は、関西にいて、テレビ、ヤング、オー、オー、でお三人のパフォーマンスを観て、
衝撃を受け、今に至ってます。当時、上田正樹率いるサウスtoサウスが絶頂で、Recサクセションも前座扱い。で、半世紀が過ぎ、顰蹙をかう作品を今も発表し続けてる唯一の人。
あんなにいたのに。フォーク畑では三上寛さんとか友部正人さんとかいますが。
しゃれでもいいので尾崎さんを交え、一夜限りのまりちゃんズ、みてみたいなああーーー。