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※11月18日に書かれたブログです
 

藤岡です。
 

<入院当夜>
齢71歳にして、入院初体験の、初夜が終わりました。

まあ、もともと「どっか痛いとか」の自覚症状はなく、そんなに深刻じゃないってのもあって、病院の愚痴言いますが、まあ、イイもんじゃないね~。

でかいトコで、評判よくて、新しくって、態度も良く、メシは美味いとは言えないけど、我慢できる、って程度。

問題はね!

病院って、どこもそうだと思うけど、エンタメ性がないのよ。

機能に特化した結果、医学は進んでるんでしょうけど、

多少「QOL」を標榜してホテルっぽくしたりしてんでしょうけど、いかんせん、「ザ・病院!!

患者の「治ろう」「以前の生活に戻ろう」という意欲に働きかける努力が、まったく遅れてるの!

もっと「木」とか使えよって。ログハウスとまでいかなくても、隅けんごとか、星野リゾートの知恵とか使ってさ。

木肌見ると落ち着くっていうじゃん、観葉植物もさ、ビシバシ置きゃあいいじゃん(レプリカでも、殺菌して)。

樹脂と、プラスティックと、鉄パイプのベッドに蛍光灯。

「病院に、エンタメ性なんか必要ない」と思っている方、多いと思いますが、フジオカ的には(まあ通院も含めて)、

病気で弱ってる人こそ、精神的に希望を持たせるには、明るい精神状態に持ってく配慮がないと(まあ、精神医学は特に日本は遅れてるよねー)。

「病気なんだからしょうがないでしょ!遊びたいんだったら治ってから!」という、古い医療概念がいかんな。

病は気から治ったり、でも気力が失せて死んだりもする」でしょ!

まあ、月曜日にいよいよ手術なんで、そっから先はそんな文句なんか言ってられない状況かも知んないですが。



<で月曜日、手術開始>
そんな文句なんか言ってられない状況になりました!

つづきは次回で。

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しいたけ 

わーい藤岡さん

更新ありがとうございます
これまで入院されたことがなかったのですね
病院にエンタメ性は盲点でした!
隈けんごさんデザインの病院あったら
入院希望者が目白押しですね〜

藤岡藤巻のフジオカです。

1980年時代、フォーク系の事務所でディレクターの卵だったフジオカは、今思えば何でそんなことを言ったのかさっぱり分かりませんが、「もっとメジャーな仕事がしたい。フォークは嫌いだ」と思って、社長のG氏に、「メジャーなレコード会社に移籍して、アイドルとか担当したい」という、とんでもない申し出をしました。

驚いたことに、G氏はCBSソニーの制作部部長を紹介してくれました。

なんと優しい人なんでしょうか!

(まあ、スタッフとして持て余してたのかもしれませんが)

 
んで、たまたまソニーとしても、J事務所の新人グループの現場ディレクターを探していた時期で、即、五月五日にデビューする3人組のレコーディング・ディレクターを務めることになりました。

 
それが「シブがき隊」でした。

(あ、昨今話題の事件については書きませんので、期待してる方は期待しないでくださいね。)

最初、3人に会う前に、会議でデモテープ(なんか、アリ物の曲を歌ってた)と資料を見せられました。

唖然としました。ドッキリ番組かと思うくらい歌がひどくて、写真もイモっぽいガキで、「これ、デビューさせるの?ひょっとしてオイラ、からかわれてるのか?」と思ったくらいです。

その頃は、プロデューサーの上司(スタジオワークが出来ない)がいて、その人が発注した、森雪之丞作詞、井上大輔作曲で、「NAINAI16」がデビュー曲だと決まってました。

これまた「何だ、この曲は?嘘だろ?」という想いで、スタジオやってました。大御所たちや、有名なスタジオミュージシャンに囲まれて、スタジオのトークバック(スタジオ内と話すボタン)を、震える手で押してました。脇汗ビショビショで。

だってあなた、とんでもないヒット作を世に出してきた方々の視線の中で、ペーペーのフジオカがスタジオ仕切ってんですから💧

それも、「絶対、このプロジェクトは失敗する」という本音を隠してさ。

結果は、ご存じの通り、新人賞は獲るわ、紅白出るわで大成功するワケです。

歌はあんまり進歩しませんでしたが、まあテレビで恥かくレベルからは脱しましたし、何より、売れると本人たちも自信を持ってきて、どんどん洗練されてゆく過程を目撃出来たと思います。

まさに人生のカルチャーショックで、フジオカの音楽哲学の革命でしたね。

それまでは、「クオリティがヒット曲に繋がる」と思ってたのが、「ユーザーに認められてこそヒット曲」という、言わばプロの目線に変わったんだと思います。

目からウロコでしたねー。

その後の仕事でも、「ユーザーがミーハーだからと言って、手を抜いたら売れない」というのも学びました。

真剣に、ユーザー目線を探ってゆくと、やることは果てしなくあって、それからは目の回るような日々でした。

まあ、それ以前の音楽仲間からは、やった仕事を馬鹿にされたりしましたが、フジオカとしては、「好きな音楽だけをやってる」連中を、アマチュアだと思って馬鹿にしてました。

なんせ、当時のアイドルはみんなそうでしたが、シングル曲は、最初だけ売れてすぐ売り上げは落ちてゆくので、当然のように、シングルは年に4タイトル、アルバムは年に2~3枚リリースしてた時代です。

どういうことかと言うと、シングルの発売日には、もう次のシングルを録り始めなければならない、ってな業務で、その間にも、他の新人や、引き継いだベテラン歌手とかも担当させられ、一時は9人のアーティストを受け持ってました。

こういうと、自慢してるように聞こえるでしょうが、自分が「良い」と思う新人を発掘する余裕なんかなかったです。

でも、アイドルにとって、レコーディングは、いろんな仕事の中でもクリエイティブな場だったので、3人とはすぐに親しくなれました。

もちろん、音楽的には何も知らない16才のガキ達でしたので、とても素直に頼ってくれてたと思います。

他の現場では、かなり生意気だという話も聞きましたが、スタジオでは素直で可愛い奴らでした。

長くなりそうなので、後編も書こうっと!

藤巻です。

子供の頃から落語が好きだった。

当時は、三遊亭圓生、柳家小さん、林家三平、三遊亭歌奴なんかが活躍していたと記憶している。

でも古今亭志ん朝を知ってからは志ん朝一辺倒になり、ビデオデッキを買ってからテレビで古今亭志ん朝をやれば必ず録画した程だった。

兎に角志ん朝の落語は別格で、自分の中では志ん朝とそれ以外の落語家に分かれる。

もう歳老いたので志ん朝以外の落語は見なくても良いかなとさえ思っている。

何故落語に惹かれたのかは定かではないが、扇子と手拭いだけ持って高座に上がり首を上下(右左)に振るだけで何人もの人を演じ分ける。

上手い落語家の口座は、あたかもそこに吉原の街が現れ多くのひやかしの客が目の前を歩いているような錯覚に陥る。

見事なものだ!

特に志ん朝の落語などは芸術の域に達していたと思う。

「落語は人間の業の肯定」だと立川談志が言ったそうだ。

人間なんて所詮どうしようもないものなんだよ!ということか。

となると藤岡藤巻にも通ずるものがある。

だから落語に惹かれていたのかも知れない。

それにしてもオレは子供の頃から人間のどうしようもなさを悟り、それを肯定して貰いたかったのか?

これを書きながら思ったが、他に憧れを込めて落語に出て来る江戸っ子の美学が好きだった気がする。

「粋(いき)」とか「通(つう)」とか、なんかかっこいい!

こんな風に生きたいと思ったりした。

この辺のことは長くなるから次回にしようっと。


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いたけ 

わーい藤巻さん
更新ありがとうございます
藤巻さんのオモシロのルーツは
落語にあったのですね〜
藤巻さんの落語、YouTubeで見ましたが
ぜひまたやっていただきたいです!

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